階段を登って
非常通路のようなところを歩いていくと
壁の外側に繋がっている
どうやら奥の部屋に行けるようだ
なにやら看板がある
「レッツエンジョイ 18:00- open」
どこかオカシイその町並みは
京王線か小田急線かの世田谷辺り
もしかすると中央線かもしれないけど
いずれにしても渋谷新宿の西側
駅前の商店街は狭い道でうねりを伴っている
細い家がところどころ空き地混じりにあり
車が一台ギリギリ通れる道幅だが
現れる十字路を曲がれるとは思えない
活気はあまり無いように思うが
一軒一軒それなりに保っている
ただ何かがおかしい
1人でお酒を飲むって
特別な行為だと思うんだ
家で飲むのと外で飲むのは
おなじお酒や食べ物だとしても
違うと思う
そこに他人の手が加わって
配膳してもらって
お酒を注いでもらって
その一つ一つに意味があって
精神的にも良いと思う
誰かに何かしてもらうって大事だ
むかしは
他人に頼ってはいけないと思って生きてた
自分のことは自分でする
でもそれだと自己完結してしまい
自分だけで色んなものがループする
わらしべ長者ではないけど
要は変化しないんだよね
あと
自己完結だと他が入る隙間がないから
受け取ることも難しくなるよね
循環してこそ淀みが無くなるじゃないけど
何かしてもらって
受け取って
感謝して
お返しをして
また受け取って
受け取るものは
希望のものじゃないことも多いけど
それも楽しんで
こっちもちょっとぐらい
相手の希望と違っても
何かを贈って
そうしていくと何となく
心が満たされるというか
落ち着けたりするから
なので
セルフはセルフの良さがあるけれど
この場合のお店は
ちゃんと接客してくれるお店が良いよね
また
そしたら大人数で
食べればいいじゃないかと
思うかもしれないけど
1人でというのは
食事と自分が一対一になって
向かい合って
ちゃんと味わえるし
今日を振り返ったり
一呼吸置いたり
自分のペースで食べられる
スマホはなるべく見ないでおきたい
あくまでひとり
もちろん人との食事も美味しいけど
それはまた方向性が違うので
今回は話さずに
それで
ご飯だけじゃなく
お酒を飲むのは
よりご飯が美味しく感じられるし
より没頭出来るようになるから
お酒に関しては個人差が大きいから
なんともいえないけど
合った飲み方をすれば
それだけで
楽しくも気分よく
ご飯の時間を盛り上げてくれる
結局お酒もご飯も好きなんだね
元来
あまりいろんなものに意識を
向けられないたちで
今の世の中のSNSは
とても大変だ
好きな人の投稿を追いかけるのですら
さしてできない
自分の投稿すらおぼつかない
それなのにSNSが増えすぎた
みんなバラバラなSNSをやってるし
告知とかどうしたらいいんだ?
いっそ
何も宣伝しない
というのも
今の世の中ではあり?なわけないか
自分で発信するんではなく
他人から探してもらえる人になりたい
現実逃避のイカ天丼
イカ天おいしいよ

子供の頃から見ていた芸能人が
テレビから姿を消した
寿命、病気、逮捕、引退
そうでなくても芸能人は流行り廃りがあり
いつまでも見られるとは限らない
少し前
新型コロナで通っていたお店がなくなった
店員さんの控え目な気の使い方が好きだった
友達ではないから連絡先もしらないし
どこかで元気にしてれば良いと思う
友達はといえば
すでに何人か此の世に疲れて
空に登ってしまった
連絡は唐突
なるべく
会いたいなどの気持ちは
すぐに形にするようにしてる
相手に迷惑じゃないかと考えるけど
迷惑かどうかは相手が決めることだ
人だけじゃない
景色も
昨日まであった景色が
無くなってしまうことは
たくさんある
大災害などで辺り一面が
全く違った景色になったときは
衝撃が凄まじい
昔はそれが怖くて
写真をたくさん撮った
でも写真を撮っていると
その時の体感がファインダー越しにしか
感じられなくて間引かれてると感じてから
なるべく素のままをちゃんと目で耳で
感じたいと思った
どの景色も今しか感じられない
ということに感謝しながら
楽しむことが大事だと思ってる
大人になると
自分で自分の機嫌を
とらなければならなくなるんだけど
それも関係しているかもしれない話
「病は気から」
自分で治す気がない患者を医者は治せない
でもこれってなんでもそうで
幸せになる気がない人は幸せになれない
健康になる気がない人は健康になれない
いやいや
治す気はあるよ!
っていうけれど
心のどこかで治らない方が
安心とか
構ってもらえるとか
色んな理由がある
これは不幸にも言い換えられて
不幸でいたほうが甘えられるとか
安心とかあるんだと思う
他にも他人と比べて
自分は稼いでないとか
能力がないとか
恵まれていないとか
色々自分を不幸にする理由はある
そうして負の理由を並べては
機嫌が悪くなり
最悪他人に当たってしまう
つまり自分の機嫌をとれる人は
そういうことをしないということだ
他人と比べたりせず
自分がほしいものは本当はなんなのか
ちゃんと把握していて
自分が喜ぶことを自分にしてあげられる
失敗や運の悪いことも起こるけれど
それに対して引きずらない考え方が
ちゃんと出来る
結局のところ
自分を救ってあげられるのは
自分しかいないんだ
そう考えると少し寂しくも
孤独を感じたりするかもしれないけど
自分が喜ぶことを自分で選んで
ただそれを自分一人で解決するのではなく…
他人を巻き込んで手伝ってもらう
お世話になったら恩返しをする
「病は気から」に戻るけど
病を治す気持ちがないと良くならないし
救ってもらう気持ちがないと
救いようがない
救ってもらう価値が無いとか
そう考える人もいるけれど
価値が無いと自分に対して思っていることが
救ってもらう気持ちがないに繋がるし
救うかどうかは他人が決めることで
他人の選択を勝手にしていることは
つまり別の理由があるということだと思う
徒然なるままに記載
子供の頃
駅の乗り換えで聞いたメロディ
ピアノの少しアンニュイな音
この頃から陰のある音に惹かれていた
まわりではスピッツのロビンソンが流行っていたが
J-POPに全く興味のない子供だったので
みんなが当たり前のように歌っているのを見て
妙な気分になっていた
夢のない子供だったので
将来の夢を書こうという宿題は嫌いで
白紙で出そうかと思っていたが
なんとなくで「クリエーター」と書いた
毎日家でゲームをしていたので
ゲーム音楽は好きだった
とはいえ月並みだが
ファイナルファンタジー(1992)の「ビックブリッヂの死闘」や
メタルマックス2(1993)の「お尋ね者との戦い」にハマり
(他にも色々あるが割愛)
スーパードンキーコング(1994)では
パーカッション(打楽器)がこんなにゲームで出てくるなんて!と
いてもたってもいられなく
家にあったステレオコンポにケーブルを繋いで
スピーカーから音楽を流しながらゲームをしていた
そんなおり発売されたのがRPGツクール3(1997)だ
前作以前から気にはなっていたがなかなか手が出せないでいた
そしてこのゲーム
音楽ツクールかなでーる2(1998)で作曲した曲が
BGMとして使用できたので
さっそくストーリーと共にキャラデザイン
そしてBGMを作り出してみた
絵や物語は良かったが作曲に関しては全くのド素人
戦闘曲なんてとりあえず同じ音が連続で続いてればいいだろうという
安易な考えで始めたものの
和音?ワオン?何それ? ※和音…相性の良い音が集まったもの
「メロディーと同じ音が鳴ってればいいんだよ」という
まわりの曖昧なアドバイスに余計混乱
本屋に行って「楽譜の読み方」という本を買ってきて
和音について簡単な解説を読んでふむふむ分からん!
そもそも音感も無い僕には
ハモっているのかそうでないのかも分からない始末
「いいや忘れよ作っちゃえ」ということで
本格的に作曲が始まったのでした
こちらはその数年後(2000)に誕生した「アルバム」という曲です
現在発売中のアルバム「Traveler」収録の「Album (2019 Version)」の元ですね
この曲を作るきっかけは
ボサノヴァのリズムを勉強していてなんですが
後々それは違うと言われてしまいました
難しい…
pixivFANBOX
気になっていたのですがなかなか始められず
やっと公開しました
性格的に石橋を叩いて渡らずのところがあるので
たまに落ちてもいいから渡るくらいのことをしないとダメですよね
こちらのFANBOXでは創作の進捗状況に加え
販売出来ていない曲や実験的な曲
お蔵入りの曲などを公開していく予定です
どうぞよろしくお願いします
「気に入ってる人が不幸になってほしくない」
この事だけなら良いことなのだけど
“自分がある程度どんな目に遭っても構わない”
という気持ちが在るため
歪んだ愛情になっている気がする
縁を自ら留めようとしなければ
僕はどんな人との繋がりも断たれていく
何故かは分からないが
相手から声を掛けられることは希だ
何か魔法の結界があるようだ
そんなわけで
今縁のある人は僕から積極的に声を掛けた人だ
僕から声を掛けて留めてしまったのだから
僕に責任がある
その人の人生の時間を頂いているのだから
出来る限り楽しく幸せであってほしい
いや、ほしいではなく努力しなければいけない
ただ常々申し訳なく思っているのは
人を楽しませる才能は
持って産まれなかったということだ
というかそもそもそんなに能力がある方ではない
僕が多少心得があるのは「声、音、言葉」だ
そして人からも言われることから僕は
柔らかいオーラを持っているらしい(短気なのに)
なので出来ることといえば
話すリズム又はチャンネルを相手と合わせて
何を欲しているのか察して
相手が心地よく聞ける状態で言葉を掛けることだ
でも言葉だけではどうにもならないことがある
世の中は理不尽だ
お気に入りの相手がどこかで
運悪く傷付くことがある
話を聞いたりは出来るが
その事を受け入れたり消化するのは
本人にしか出来ない
そしてそれがうまく出来ない相手を
どうしてやることも出来なく
自分もとても落ち込む
そう
僕が不幸な目に遭うのは良いけど
お気に入りの相手が不幸な目に遭うのは
嫌なのだ
問題はやはり
外で運悪く不幸な目に遭ったのか
僕と関わりを持ったがために
不幸な目に遭ったのか
僕はトラブルが起こりがちだけど
それはもう運命だと思って楽しむことにしてる
もちろん辛いときもある
寒いなかひたすら冷たい雨に打たれ
身体の感覚が無くなり
そろそろ生命が危ういということもあった
それでも運良く生きられて
美味しいご飯を食べられたときは幸せだ
でも世の中の人みんながそうではない
辛いことに打ちひしがれ
生きることをやめてしまう人もいる
それがお気に入りの人だったときはとても悲しい
僕が原因に関わっていたなら
消えてしまいたいくらいだ
身近な人が自ら命を絶ってしまうことが
既に幾度かあった
僕としては多少倫理に外れてしまうことでも
そもそも人間は動物なんだから
生きるための活力を手に入れることは
善だと思っている
(他人に迷惑を掛けることは推奨してない)
世の中のいろんな価値観に惑わされ
袋小路に入り込んでしまうこともある
そういう時は一人で考えては抜け出せないし
自分が決めたルールを破らないと
新しい道は見つからない
そこで固執してしまって回りの意見を
受け入れられないような人になってほしくはない
そんな大きなことを言っているけど
僕は僕の言葉で相手が傷付いたり怒ったり
悲しんだり不幸になったりするのが怖い
僕がいることで相手が不幸になるなら
僕は立ち去ることを選ぶ
ほとんど気持ちの整理のために書く日記
“好きな人が多い”
好きという基準が難しいけれど…
ふとした時に思い出すとか
元気でいてほしい
幸せでいてほしいとか
辛い思いをしてほしくないとか
願いはそういう感じで
叶えられることがあるならしたいし
そう思うんだけれど
(あとこれは特殊だと思うけど
異性でも同性でも汚くなければ
触られたりなんだりしても平気)
普通(って言い方好きじゃないけど)
そんなに回りの人に気を取られないもんなのかな?
関わった人は大体好きになるからなあ
もしかすると会わなくても
最初から好きの数値が高いのか?
ポリアモリーって言葉も最近知ったけど
どちらかというと一夫多妻制の方が
小さい頃から興味はあった
平等に考えると多夫多妻の方がいいのか?
って思ったりもするけど
その国の事情や風習から考えると
一夫多妻の方が理に叶ってるのかもしれない
沢山の好きの気持ちは幼い頃からあって
十代の頃は加減が分からず引かれて
(まあなにもしてないのに好かれたらね)
上手く行かず傷付けてしまったり
悪戯とかしあっていた
卒業式に手紙をくれたKさんが
今も生きているのか(身体弱かった)
今も気になる
二十代の時に心療内科に行き
カウンセラーもつけてもらって
色々どうしたらいいか初めて相談した
(この頃まで身近に相談出来る人がいなかった)
そこから
多少こっちも甘えた方が
相手も受け入れやすいとか覚え
工夫したりしたけど
今度はコントロールし過ぎだったようで
上手く行かず
本を色々読んだりして
相手をどうにかしようとするのは
良くないなと思い
何か求められたら
それに応えられるようにしておこうと
そうしているものの…
(あ、相手は男女問わずですが
男性は父親の影響で苦手傾向があります)
僕と一緒にいる人が
あまり幸せではないのを見ると
好きな人達を不幸にしてしまうくらいなら
一人で居た方が良いなと思ったり
ちょっと疲れてしまったり
まあいずれ歳をとれば一人になるのだろうけど
もともと一人でいることが多かったし
一人遊びしてることが多かった
人と関わるようになって
でも気の使い方が分からないので一緒にいる人が
「アイスが欲しいね~(そんなでもない)」
と言ったら
アイスを買ってこなくてはいけない!と
分かってても思い込んでしまう
一緒にいる人が「辛い~」と言えば
どうにかしなければ!
どうにか出来ない自分は無能!
という風に考える
誰かの台詞じゃないけれど
最終的にどうにかするのは自分だし
助けられるのも自分しかいないのだから
僕がなにかをするとしても
それは間接的で
病気の人も自分が治そうと思わないと
医者が何をしようと駄目だったりのように
自発的なことが大事なのは
分かってはいるけど
自発的に何かをしようとしてるのを
僕が邪魔をしてるんじゃないかと
考えてしまったり
好きな人を
傷付けてしまったりしないように
なるべく距離を置いて
という風に思うこと自体
傲慢なのかもしれないな
推しが世の中にいっぱいいる
という風に思ったら
少し違うのかな?
推しは幸せでいてほしいもんね
関わってもらったり
助けてもらったら
感謝だよね
ありがとうだよね
でも課金はしないなあ…
※加筆修正するかも
Journey to the World of Edward Gorey

エドワード・ゴーリーを巡る旅
渋谷区立松濤美術館
最終的な感想は“可愛い”でした。
可愛いはカワイイでもあり、
可愛そう…可哀想でもある。
Gペン、丸ペンに触れてきた身としてはとても身近で勉強にもなるし、歳を取るごとに絵のコントラストが暗くなっていくのが心に残りました。
その時々の季節に思うことがイラストに表現されているのを感じ取ったのかもしれません。もちろんそう仕組まれているのかもしれないですけどね。
そして几帳面さと狂気は紙一重な印象も。
展示された絵を見て、ただただ背景の斜線の描き方を見てました。遠くから見たり、近くで見たり。
線の微妙な揺らぎで現れる不気味さ。
均一過ぎると薄っぺらく感じるし、バラけ過ぎると下手くそに見える。濃淡、密集度、そういったものから情景が感じられるのが凄い。
そしてその斜線を外すとキャラクター達は何ともカワイイんですよね。
あとこれは好みかもしれないですけど、ゴーリー自身が描いたストーリーのイラストの方が断然面白いですよね。
また、会場にほぼ男性が来場していなかったことも面白かった点の1つ。

お久しぶりです
冬から春にかけては
毎年季節鬱に悩まされる時期です
寒さに弱くて
夜は寝られないし朝は起きられないし
創作含め作業は捗らないし
進んでないことに落ち込みます
タイトルは
自信がないときやらかしがちで
気を付けたいことなんですけど
この時期は特に酷いです
まず前提として人を誘うとき
「自分の行きたい場所」と
「相手が行きたそうな場所」で
誘って断られた場合は
どちらがダメージでかいと思いますか?
そう…後者なんです
相手に忖度や迎合
つまり下手に出ていたり
譲歩してたりして断られるというのは
譲ったのに受け入れてもらえなかったという
衝撃を受けるのです
細かい話は省略しますが
創作でも同じことが言えて
評価されたいがために
寄せて作った作品は
受け入れてもらえなかったとき
絶望が計り知れないのです
だから毎回
自分は何が作りたいのか
何を表現したいのか
それは迎合していないか
考えます
それでもやっぱり自信がないときは
動画の再生数だとか星の数だとか
評価コメントに左右されてしまい
評価されてもされなくても
悲しくなってしまう作品が
出来てしまいかねません
元より僕が作りたい作品は
なかなか大衆受けするものではないから
ただ自分の声にしたがって作るのが
不安定なときもあります
まわりの人の正しさや評価
教科書的なことや才能に
傷付くことばかりです
いっそ一人になってしまえば
何も気にせずに制作が出来るのに…
とはいえ
人と暮らしていないと生活は出来ないし
作品が売れないと借金地獄です
もうなんかある程度のことは
諦めがついてきたけれど
やはり作品は作りたいし
作るなら自分にとって正しいものを
真っ直ぐなものを作りたいと思うのです
つらつら駄文でした