日記
日記

エドワード・ゴーリーを巡る旅に行ってきた 渋谷区立松濤美術館

Journey to the World of Edward Gorey

エドワード・ゴーリーを巡る旅
渋谷区立松濤美術館

最終的な感想は“可愛い”でした。
可愛いはカワイイでもあり、
可愛そう…可哀想でもある。

Gペン、丸ペンに触れてきた身としてはとても身近で勉強にもなるし、歳を取るごとに絵のコントラストが暗くなっていくのが心に残りました。

その時々の季節に思うことがイラストに表現されているのを感じ取ったのかもしれません。もちろんそう仕組まれているのかもしれないですけどね。

そして几帳面さと狂気は紙一重な印象も。

展示された絵を見て、ただただ背景の斜線の描き方を見てました。遠くから見たり、近くで見たり。

線の微妙な揺らぎで現れる不気味さ。

均一過ぎると薄っぺらく感じるし、バラけ過ぎると下手くそに見える。濃淡、密集度、そういったものから情景が感じられるのが凄い。

そしてその斜線を外すとキャラクター達は何ともカワイイんですよね。

あとこれは好みかもしれないですけど、ゴーリー自身が描いたストーリーのイラストの方が断然面白いですよね。

また、会場にほぼ男性が来場していなかったことも面白かった点の1つ。

創作でも人間関係でも気を付けたいこと

お久しぶりです

冬から春にかけては
毎年季節鬱に悩まされる時期です

寒さに弱くて
夜は寝られないし朝は起きられないし
創作含め作業は捗らないし
進んでないことに落ち込みます

タイトルは
自信がないときやらかしがちで
気を付けたいことなんですけど
この時期は特に酷いです

まず前提として人を誘うとき
「自分の行きたい場所」と
「相手が行きたそうな場所」で
誘って断られた場合は
どちらがダメージでかいと思いますか?

そう…後者なんです

相手に忖度や迎合
つまり下手に出ていたり
譲歩してたりして断られるというのは
譲ったのに受け入れてもらえなかったという
衝撃を受けるのです

細かい話は省略しますが
創作でも同じことが言えて
評価されたいがために
寄せて作った作品は
受け入れてもらえなかったとき
絶望が計り知れないのです

だから毎回
自分は何が作りたいのか
何を表現したいのか
それは迎合していないか
考えます

それでもやっぱり自信がないときは
動画の再生数だとか星の数だとか
評価コメントに左右されてしまい
評価されてもされなくても
悲しくなってしまう作品が
出来てしまいかねません

元より僕が作りたい作品は
なかなか大衆受けするものではないから
ただ自分の声にしたがって作るのが
不安定なときもあります

まわりの人の正しさや評価
教科書的なことや才能に
傷付くことばかりです

いっそ一人になってしまえば
何も気にせずに制作が出来るのに…

とはいえ
人と暮らしていないと生活は出来ないし
作品が売れないと借金地獄です

もうなんかある程度のことは
諦めがついてきたけれど
やはり作品は作りたいし
作るなら自分にとって正しいものを
真っ直ぐなものを作りたいと思うのです

つらつら駄文でした

デザインフェスタ vol.56を終えて

かなり前、

デザインフェスタがVol.20くらいのときに、こういうイベントがあるんだと知って、ただその時は立体的な創作物を作っていなかったのとビッグサイトということもあり、出展したいものの先延ばしにしていました。

そしてこういう出展形式よりライブステージに軸を置いて何年か経ったとき、やはり出展形式のものに出たいと思い、しかしながらその時には表現していたものが音だった為、CDを売っているブースをあまり見かけたこともなく、音メインのイベントに先に出展していました。

そうして何度かイベントに出展してるうちに作品も増えてきて、改めてデザインフェスタに出展しようと思い、夏のデザインフェスタから参加するようになりました。

ただ、最初はやはりCD、しかもデザインフェスタのステージ等で演奏しているわけでもないので結果は散々でした。

その後、デザインフェスタだからこういうのがウケるだろうという思い込みを捨て、CD作品の種類をガラッと変えて、今回、両日出展に踏み切りました。

結果は予想以上。

コロナにある程度慣れて外にまた人が戻ってきた結果か、それとも単純に目を引く展示ができたのか、忙しいと思えるほど人との交流があり、また作品についても知ってもらえ、しかも2日間ともほぼ変わらずに人の流れがあったので、作品についての生の反応を何度も触れることが出来て良かったと思う。

新作も作りたいけど今回で色々売り切れてしまったので過去作も作り直さなきゃ。

天邪鬼(あまのじゃく)

天邪鬼(あまのじゃく)…
あえて人と反対な言動をする
(本心とは必ずしも一致しない)
ひねくれた性格

天邪鬼な人はその生い立ちによって
人を信用することが出来ません
(過去に酷い裏切りがあったり親に愛されなかったり)

基本的に他人は敵だと思っています
その敵に弱味を見せてはいけないのです

愛されてきた人にとっては
何故なのか分かりづらいので
少しだけ例をあげておくと

「〇〇の使い方が分からないのだけど…」
と親に聞きに行ったら
「そんなことも分からないの?馬鹿じゃないの?」
と罵られたりした
(結局使い方は教えてもらえない)
経験によって

知らないを伝える=馬鹿にされる・貶される

と学習して一番身近な親がこの対応なら
知人だともっと酷い目にあうと感じていたり

小さい頃から学校の成績や生活態度が
少しでも悪いと親が不機嫌になる
又は暴力を振るわれる為
親の機嫌を取ろうと全てにおいて
気を遣い生きてきたことにより

出来ないことがある=身の危険がある

という感覚が作られていったことにより

何でも出来ないといけない
何でも知っていないといけない

そうでなければ攻撃されると感じ
天邪鬼が出来上がっていくように思います

また天邪鬼は頭の良い傾向があります

しかし健康な頭の良い人は
勉強が楽しい面白いと感じているのに対し
天邪鬼は恐怖心から勉強していますから
悪い感情が蓄積されます

そのため自分より勉強が出来る人を素直に認めると

素直に認める=自分には出来ないことだと認識する
出来ないこと=身の危険がある・攻撃される

と感じ反射的に「あいつなんてまだまだだよ」と
認めない形を取らざるおえないことになります

これが普段の会話にも反映され
A「〇〇って凄いよねー」
B「いや〇〇の方が凄いよ」と
否定言葉から入るようになります

相手と自分のオススメのラーメン屋はどっちかで
争う男子の会話くらいならよいのですが
これが仕事や生活に関係することに
なってくると恐怖となります

そんな恐怖を感じる生活を
しなくてはならないなら
人と会わないほうが楽というものですよね

そうしてどんどん人との関わりを断っていくのです

Beer 🍺 というタイトルのトラック

このトラックに関しての感想は
「ノリノリですね」くらいしか頂いてないのだけど
概ねそのとおりだと思う

キャッチーなトラックを作りたくて

そもそもアルバム「Traveler」は
実験的な要素もりもりで作りはじめた

その中でも
聞いた瞬間耳に残る音を前奏に持ってきて
なるべくポップな感じに仕上げたのだけど…

TOWA TEIや中田ヤスタカのような感じで
やや優しめの音

それでもYMOはあまり影響されていなく
どんなに明るく作ってもややアンニュイな感じが
いつもは残る

しかしこの曲は珍しくアンニュイな雰囲気を
ほとんどゼロに近い状態で仕上がった

だが結果として

アンニュイな雰囲気の曲の方が良かったと
言われることになったのだが
こういうカラッとしたトラックも好き

PHOTO & COMPOSITION : KIHARA MEGANE

ホームページの話

今日はちょっと難しい話です

ホームページを作り出したのは約20年位前
当時はホームページビルダーとか
htmlを視覚的に操作できるソフトがあったんだけど
買うのにはお金がかかるから
身近にあるものでできないかと
パソコンのメモ帳を使って直接タグを打ち始めたのがはじまり

最初は簡単なhtmlしか出来なくて
テーブルとか使ってたけど
css(スタイルシート)というのが出始めて
サイトのデザインが画期的に飛躍した

その頃からカラムという考え方やボックス
はたまたヘッダーやフッター
サイドバーというのが分かってきた

JavaScriptというものを使って
スライドショーを作ったり
それも難しいからjQueryという
JavaScriptの簡易版も現れた

※jQueryは、ウェブブラウザ用のJavaScriptコードをより容易に記述できるようにするために設計されたJavaScriptライブラリである。ジョン・レシグが、2006年1月に開催された BarCamp NYC でリリースした。

しかしそこから更に進化してphpになったあたりで
全然使い方が分からなくなった

今このサイトもphpとcssとjsで動いてるわけだけど
リニューアル前までphpも枠は作っていたのは
自分でも不思議なぐらい

表示のデザイン崩れがcss等の
書き込みの仕方で起こるんだけど
思い通りにならないと
ひたすら直し方を探しちゃうのよね

しかし最近は時間をかける余裕がなくなってしまって
テンプレートをイジるくらいになってしまった

それでも
このサイトのデザインは気に入っている

これからこのサイトに合う音を増やしていこう
そして出来上がったものを体感して
一人でも喜んでもらえることが
最高の至福であり喜び

ドーム型のホーム

ドーム型のホームってなんか好きだ

イギリスの有名な駅に影響されているのか

そう思う

イギリスの図書館も好きだ

デザインの中に螺旋や円があると好きなのかもしれない

イラストも楽譜も

螺旋?か何かの線上に配置した方が綺麗になる気がする

ちなみに写真は

東武鉄道の大師線

周年記念中らしい

ミレニアム

マトンカレー

人見知りの僕にとって

一人でお店に入るのはかなり抵抗があった

だから誰かと一緒にとかでないと

新規店舗の開拓が出来なかったけど

このお店はそんな僕が初めて一人で探したお店

インドカレーを食べるなら

僕はマトンカレーなんだけど

ここのマトンカレーは絶品

しかも当時お店には

日本語も英語も何語か分からない言葉も

ペラペラでとても接客の良い

可愛らしい店員さんがいた

…可愛らしいというのは

背格好も含めての話

そんな素敵な店員さんもいて

ちょっとお話がしたくて

お店の音楽のCDを教えてもらって

少し雑談をした

知らない人と雑談というのも珍しいし

店員さんと雑談をするというのも

ほぼほぼ初めてのこと

それ以降店員さんとお話することも増えた

いろんなお店でお話をするようになった

でもたまにここに来て

またマトンカレーを食べる

きもちの余裕をたいせつに。

最初に浮かぶのは?

ゆたかさって何だろう?と考えたとき、

最初に浮かぶのは余裕があるということ。

いつも人間関係に悩んでいる僕にとって、

余裕がないとすぐにMP(精神力)が空になる。

MPが空になるとどうなるかというと、

すべてが空回りしだす。

そして迷惑も掛けてしまう。

それだけならまだしも、

自己嫌悪に陥り、生活にも支障をきたし、

負の連鎖に嵌ってしまう。

そうならない為にも、心の余裕を保っておく。

余裕を保っておくと視野も広くなる。

小さい幸せも見えるようになる。

小さい幸せに気付いた時、少し余裕が出てきたことに気付く。

余裕とは、裕福の裕が余っていると書く。

余ってきているということは、そのうち福もやってくるのではなかろうか。

避難場所。

その余裕を保つために、意識していることがある。

どんな時でも逃げ込める場所を確保しておくことだ。

そう、場所がいい。

半永久的に無くならない場所ならなおさらだ。

その場所では自分が素の自分に戻れるような場所。

そういうものを持っていると、多少余裕が保たれる。

その余裕をもってして考える豊かさは、

視野の広さや、いろんな考えや物を受け取れる器(うつわ)だと思う。

受け取れるものは無差別にやってくる。

あれもこれも嫌い、要らないものは受け取らないということをしていると、本当に欲しいものも受け取れなくなるだろう。

余計なものも受け取れる心の余裕を持っておくことが、

ゆたかさに繋がるものだと思う。

また、知識も豊かさに繋がるものだと思う。

知っていることで、更にいろんなものを知ることが出来る。

つまりこれも受け取れるということだ。

そう考えていくと、

ゆたかさとは、

たくさんの物や事、人を受け入れられる心のことかもしれない。

顔面を火傷したことについて

大きい怪我って
普通はどれ位するものなのだろう?

幼少期に骨折や縫ったりはいっぱいしたし
大人になっても色んなところを火傷した

不注意とは言われるけど
改善できるものなんだろうか?

昨今はアスペルガーやADHDの理解も多少広がって
毎日忘れ物をしてしまう人もいることも
知られてはきた

運動神経なのか何なのか
子供の頃からよく怪我するから
慣れない作業はしない
もしくはかなり慎重にするように注意してる

それでもやってしまうので
そこは自分の持って生まれたものだと受け入れて
起きてしまったら対処しようとは思ってる

今回の火傷に関して

親や神様から頂いた身体を
傷付けてしまったということの申し訳なさと
まわりに迷惑を掛けてしまったことが気掛かり

更に顔面ということで
痕が残るとまわりとの対応に
不具合が出てしまうことを心配してる

変に気を使わせたりとか
あまり好きじゃないし

相手には気楽にいて欲しい

それよりももっと…

本当は自分を大切にしないと
いけないんだろうなぁと思いつつ
そこは昔からよく分からない

今回のことも長時間の上に
人手が足りない休憩がとれない最中
起こったことだし

まあでも疲れというよりは
嫌なことをされて
ペースをかき乱されたことの方が
原因な気はする

今回のことは
無理をしないでもいいよっていう
神様からの啓示のような気はする

嫌なことは嫌って伝えていいって
相手より先に自分を優先しよう
ということも含め

解釈が正しいかは分からないけど

これからは嫌だなって思うことは
やめてほしいって伝えるようにしよう

また嫌だなって思うことは
しないようにしよう

つい嫌でも他の人が助かるならと
やっちゃうところがあるから

※アスペルガーや発達障害は嫌なことでも
頼まれると断れない特性がある

今回幸いにも

顔面火傷をした際に眼鏡をかけていたことで
目は守られたし口も耳も無事 

つまり
綺麗な景色はまだまだ見れるし
美味しいものは食べられるし
音も作れるし聞ける

肌が綺麗ではなくなってしまったのは残念だけど
昔おなじ職場にいた顔面の半分が火傷痕の子の
笑顔が素敵だったなとすぐに思い出した

左目のまぶたが腫れたままだと
かなり見栄えが悪くなってしまうので
そこは綺麗に治したいな

眼帯でもするか

作曲 呪縛からの解放

ご無沙汰しております。

以前の記事で書いたことですが、やっと音楽CD3部作を完成させる事ができました。

今年10月に完成した、
怪盗ファンタジー音楽集「Theater theater」は、ジャケットデザインなどはかなり前に出来ていたのですが、コロナによる環境の変化に対応出来ず、創作も滞っていた為かなり予定より完成が遅くなりました。

自分の中での3部作の最後の作品で、ファンタジーストーリーBGMというテーマを掲げて作っていたものの、もう一つの裏テーマ、分かりやすい音楽というのが、なかなか手強くて…

というのも、そもそも音楽を作り始めた頃は特に不協和音が好きで、コード進行(音楽理論)も分からず作っていたので、出来上がった不思議な音を気に入っていました。

しかしやはり、他人に聞かせると「ノイズ」だとか、「雑音」だとか言われてました。

確かに、耳馴染みの良い音、流れというのは存在していて、スムーズに流れるメロディや、聞きやすい伴奏というのはあると思います。

そこで、伴奏やメロディはおかしいのに、それっぽく聞こえるように、音質を高めることにしました。

といったら聞こえはいいですが、ただ単に綺麗に響く音が好きなので、そうなるようにイコライザー(EQ)、コンプレッサーを色々試していった結果、そこそこ音が良くなったわけです。

話を戻しますが、分かりやすい音楽を作るというか、そもそも分かりやすい音楽に興味が無かったし、小さい頃好きだったのはゲームの音楽と、電車の発車メロディだったので、なかなか苦戦しました。

※3部作の1作目「Music of ANOTHER WORLD」はゲーム音楽がテーマだったのでそこまで苦戦はしませんでした。2作目は元々好みのジャンルに近い音楽で作れる博物館ファンタジーだったので楽しく作れました。

しかし3作目は、演劇の舞台で使えるような音楽を目指したので、だいぶ苦戦することになったのです。

分かりやすく、迫力のある音で、豪華でハッキリとした曲調って、僕とかなり逆方向のベクトルなんですよね(笑)

そこにコロナ。

しかしこの3部作を完成させないと気持ちがスッキリしないし先に進めないので、まとめて時間を取って制作をしました。

そしてやっと完成…。

長かった…。

次に作りたいアルバムもジャケットとイメージは出来上がっているので、少しずつ始めたいと思います。

発達障害のような悩み

「のような」と書いたのは、
わりとしっかりとしたテストをして結果は分かっているのだけど診断を受けていないので「のような」とした。

要は愚痴なので読みたくない方は戻ってください。

コロナがあって深夜営業が無くなった。

他人と連携して仕事をするということが苦手な僕には深夜の一人作業というのは有り難いものだった。

昼間の人が多い時間は苦手だ。

特にコミュニケーションを取るのが苦痛だ。
仕事中、休憩の時間、なるべく黙っていたいが、それだと不機嫌に見えてしまうし、場合によっては仲間ハズレやハズレくじ仕事の対象にされてしまう。

話が思い浮かばないだけなので、話し掛けてくれる人なら楽だ。それならある程度の引き出しは本とかで用意してある。

但し冗談は本当に分からない。

ボケとかされても突っ込めないし、冗談を言われても分からないので微妙な雰囲気にしてしまって申し訳なく思う。

仕事に関しては曖昧な指示や暗黙の了解は分からない。

察してオーラを出されても何のことだか分からないし、更には持ち前の勘違いの力が発揮されて話が始まらない。

そして曖昧な指示をされて勘でやると面白いくらい全て間違える。

過去に○×問題で全問不正解を叩き出して先生に“エクセレント!!!”と書かれたことがあるくらいの勘の悪さだ。

たぶん自然界ではすぐ死ぬだろう。

だから嫌な顔されるけどなるべく確認するようにしてるが、その度に「コイツ馬鹿だな」の顔をされる。

別に何も考えてないわけじゃない。

気を使いすぎて裏の裏までいくと結局どちらが正解か分からない。だからこの作業はどういう理由があって行うのか分かっていれば、そこから導き出せたりする。

しかしこの、作業の理由を知らずにただ言われたからやってるだけの人が多いので、質問しても大した答えが返ってこない。困る。

だから自分が教えるときは色々な可能性を考えて、相手が理解してるか、分かりやすく解説できてるか確認しながら話をするようにしてる。

こんな嫌な思いするのは自分だけで十分だ。

あと、質問すると「それくらい自分で考えろ」と言う人がいるが何なのだろう?

たしかに勉学等で本で調べればわかることならいいが、そういう本に載ってないことを自分で生み出せというのだろうか?

話が脱線してしまったけれど、
冗談や曖昧なことは分からないということだ。

頭のメモリ

ここからが特に理解してもらえないところだけれど、側に人が一人いるだけで頭のメモリの何%か持っていかれる。

つまり、作業が遅くなる。

さらに、まわりにものが散らかっているだけで気になってこれまた頭のメモリを何%か持っていかれる。

これは自分でも多動なのか何なのかわからないけれど、意識を無意識に割いてしまう対象がまわりにあると集中力が下がってしまうということだ。

だからまず周りを片付けて仕事しやすくするのだが、「そんなの後にして!」という人がいる。

「そんなの」とは何だ。

この作業をやらないだけで作業速度が当社比0.75倍になるんだぞ?

最終的にはやった方が早く終わるんだぞ?

…と。

家でも本当はテレビが点いてるだけで意識を持っていかれるからあまり点けておくのは良くない。

創作作業するなら田舎がいいな。

断ることが出来ない

仕事でもう一つ困ったことがある。

発達障害でよくある、断ることが出来ないという特性だ。

頼まれごとをすると断れないから仕事が増えていく。

そうしてキャパシティを越えたとき仕事を辞める。

そういうサイクルなので、あまり長時間や長期の仕事は向かない。

出来ないことに目を向けても何も良いことはない

出来ないことに目を向けても何も良いことはない
そう書いてあったのは何の本だったかな

小さい頃から出来ないことが多かったと思う
勉強も運動も出来なかったし
不注意で落ち着きがなくて怪我ばかりしてた

元来僕は怠け者だ
「まだ本気出してないだけ」とは思わないが
出来ないのは努力が足りないとか
本気出してないからとか考えてしまう

本気を出してない
それが凄く引っかかってる

本気って何だろうか?
手を抜いてるつもりは無いし
言ってしまえばいつも本気だ

単純に70%の力でやるとか
器用なこと出来ないから
100か0かしかない

120%の力を出せればいいのだろうか

120%の力を出したところで
出来ないものは出来ないのだが

120%の力を出しても僕には出来ないことを
軽々とこなしてる人がいる

その人は僕より努力してるのかなって
考えたところで仕方ないけど

逆に僕の軽々と出来ることってなんだろう?
怠けること?笑

出来ないことが多いから
他人が何か出来なくてもイライラはしなくてすむ

見たり聞いたりしてるのは楽かな
それは誰でもだと思ってるけど
誰でも出来ることって思ってることの中に
案外あるのかもしれないと聞く

出来ること…

車の運転は出来る
パソコンは少し触れる
作曲が少し出来る
絵も少し描ける

掃除も片付けもまあまあ好きな方だ
多分遅いけど

あとなんだろう?

耐えること
耐えることって
出来ることに入らないと思ってる

日本と美徳とも取れるようなことだけど
耐えることからの成長は無い気がする

なにか目標があって
そこに辿り着くまでに
耐えなきゃいけないことがあるなら
少しは意味もあるかもしれないけど

長男なので
耐えることっていうのはたくさんしてきた

でも耐えたからといって
時間が解決してくれるものもあるけど
自分から動かないと
なかなか事態は動かない

もっと出来ることに目を向けたいなぁ

作曲 心境吐露

目詰まり
なんというか
創作を吐き出す管が詰まってます
血栓です

僕の場合は音楽なのですが
いや 依頼された分はやってるんですが

この場合は自分の作品ですね

いろんな背景音楽を作ることがあって
それを集めたものを3部作として
アルバムにまとめて一区切りにしようと
思っていたのですが…

コロナで普段の生活リズムが一変し
うまく気持ちを作れないまま予定より半年が過ぎました

そして実は
その3部作の後に作ろうと思っているアルバムにも
手をつけられない状態

先に作ればいいじゃないかと
思うかもしれませんが
物事を決めた順番通りにやらないと
しっくりこない性格でして…

そしてこの3部作
3作中2作が苦手なジャンルなんですよね…笑

2作目はまだ1作目の
鬱憤を晴らす為に作ったところがあるので
いいのですが

最後の3作目で躓いてます

しかも
この3部作は僕の創作において
重要な意味を持ってます

大雑把に言うと大衆向けを意識してるということです

どこかで聞いたような雰囲気と伴奏を入れつつ
分かりやすく 使いやすく 親しみやすく

でも僕は今
意味の分からない(自分は分かってる)音楽を作りたい
はやく3部作を完成させてスッキリしたい
そんな気持ちで作るのもどうかと思いますが
この詰まりをスポーン!と取れるような
そんな日が早くくるように
まずはこの苦痛な創作を終わらせたい

いや
それはそれで楽しいんですけどね

1作目
Music of ANOTHER WORLD
冒険 ファンタジー 音楽

2作目
Museum
博物 ファンタジー 音楽

3作目
Theatre theatre
怪盗 ファンタジー 音楽

よくばり

新しいものを買ってくると
部屋が物で溢れていく
元々物は少ない方だ

子供の頃の僕の部屋は
テレビ ステレオ ゲーム 机 漫画
それしかなかった

いや
それだけで十分だろう

しかし何もない部屋と言われた

確かにカレンダーやクッションや観葉植物
その他置き物小物といったものは一切なかった

絨毯に転がってるものといえば
テレビのリモコンくらいだろう

テーブルなんてない

そもそも机も親が学習用に買ったもので
僕としては必要ない

しかし困ったことを言われた

物がない=冷たい人
という印象だ

更に僕はすぐに物を捨てる

物を捨てる=人も捨てる
という風に思われることも気になった

実際
友達も少なく
人の集まるところは苦手だった

興味のある人なんてそんなにいないし
何故付き合わなきゃいけないのかも分からなかった

やはり自分は冷たいのかなと思った出来事もあった

祖父が倒れる前日
普段計算の得意な祖父が暗算を間違えた

その瞬間
何故か直感的に「死ぬだろうな」と思った

その後半日ほどして祖父は倒れた

そこからは早かった

お葬式の日
あまりにも平然としていた僕は叔母に泣かれた

祖父に一番可愛がってもらっていたのは僕なのに
何も感じてないのかということだと思う

それから数年間は感情が少ないことを悩んでいた

今思えば本来の僕は甘えたがりで構ってほしくて寂しがりだっただろう

ただ環境的に人の顔色を伺い自分の感情を押し殺し
他人に期待しない方が都合が良かったのかもしれない

祖父のことも直感的に悟ってしまったとき
同時に覚悟もしてしまったのだと思う

話は戻るが
物が少ない=冷たい人
なのだろうか?

今も物は少ない

ただ昔より欲張りになったと思う